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第79回日書展受賞者 石川昇玉先生

静謐を湛える「かな」の線に物語を見る

サンスター国際賞受賞 石川昇玉先生インタビュー

第79回日書展授賞式 石川昇玉先生

受賞作

藤原道信 後拾遺集
行き帰る旅に年ふる雁がねは いくその春をよそにみるらむ

日書展サンスター国際賞 受賞作品

第79回日書展サンスター国際賞は、かな部の石川昇玉(いしかわ しょうぎょく)先生が受賞されました。
作品は、藤原道信の後拾遺集の歌です。通釈は「往っては還る旅の中で年を重ねる雁は、どれほど多くの春をよそに眺めることだろうか」。秋に渡来し、春になると帰って行く、渡り鳥の雁に思いを馳せ詠まれたものです。

「馥郁(ふくいく)たる線条と滔々(とうとう)と流れる大河を彷彿とさせる行立てとが相俟ってケレン味がなく、作家の深い息づかいが感動を呼び起こす」と評されました。

石川先生に作品への思いや、書との出会いなどについてお話を伺いました。

第79回日書展受賞者 石川昇玉先生

主題に選ばれた藤原道信の後拾遺集(ごしゅういしゅう)についてお聞かせください。

春の歌は季節を謳歌するような華やかなものが多いのですが、この歌は美しくなった春の景色から去っていく雁の姿に少し寂しい情景が広がります。毎年秋に飛来して春に還る雁の目には繰り返し映る景色に何を感じているのだろうか、春めく季節に平然と還っていく雁の心を書いてみたいと思いました。鳥の歌ですから、俯瞰的に全体を捉える視点や浮遊感といったものも表現したかったですね。今回の作品に選んだ料紙は、手仕事で段階的に染めたもので、1枚ずつ微妙に異なります。2枚合わせたときの色幅のずれが、作品の奥行きにつながりました。一番下の色が一番濃く、大地を思わせるように、上に行くに従って淡くなり空の広がりにも通じたでしょうか。

石川昇玉先生 1

受賞されたときのお気持ちはいかがでしたか?

松井玉箏常務理事からお電話でお知らせをいただきました。そのときは外出先で妻の朱玉と一緒に受賞報告を聞くこととなり、私以上に妻が感激してくれて、とても嬉しかったですね。良かったら来られますか?と知らせを受けたその足で東京都美術館の選考会場に向かいまして、自分の作品を目の前にしてようやく事の重大さの実感が沸いてきました。実はその時に初めて表具された自分の作品を見たのです。ふと東山魁夷の山谿秋色を見るようなイメージが広がってきました。表具師さんが、作品に合わせてくださったマットの色や額に、文字を引き立ててくださったのだと思いました。料紙にも助けられましたし、皆様のお陰で自分の力以上に押し上げていただいたのだと感じました。

先生が書道を始めたきっかけは?

中学・高校一貫校の書道部に入ったのがきっかけでした。当時、高木東扇先生が顧問をされていまして、大学生になったときに自宅近くに良い先生がおられるからと筒井敬玉先生の教室の門を叩きました。幸い「高木先生の教え子さんですね」と快く招いてくだいました。ただ、厳しい先生で、初めてお会いした日に「直ぐに辞めてしまうくらいなら来て欲しくない」と仰いました。それで、十年は続けようと覚悟して入門したのを覚えています。結果的には筒井先生には他界されるまで十数年直弟子として教わりました。

大学生から社会人にかけてお稽古との両立は大変だったのでは?

社会人になってからも書道を続けてきて、忙しい時に書いた字は、先生は御覧になるだけで見抜いてしまわれます。「忙しいの?」と聞かれて「忙しいです」とそのまま正直に答えたら「時間は自分でみつけるものですよ」と諭されました。何も言わなくてもその時の心が文字に表れてしまうのですね。また、肘を痛めて、半年ほど書くことから離れていたので、思い通りに書けなくなったことがありました。これは続けるのは難しいなと、辞めようと思っていたのです。すると、先生から「あなたは肘が悪くなったから身体的な理由で書けないと思っているのでしょうけれど、それは精神的な問題ですよ」と仰いました。先生も怪我をされたご経験があって当時の先生に同じように言われたそうです。「私もやって来られたのだから、あなたにもできますよ」と励ましてくださいました。ご自身の辛かった話など一切されない先生でしたので、それからは、諦めずに続けようと思い直しました。

石川昇玉先生 2

気持ちを新たに稽古を再開されていかがでしたか?

ところが、稽古を再開してからというもの想像以上に苦労の連続でした。何十年もやってきたことが変わりますから、全てを一から積み上げて行くしかない。腹立たしくもありながら、時間をかけて昔やったことを全てやり直していくしかありませんでした。かなの勉強、古筆の臨書、線の動かし方を叩きこんでいくこと。それでも前のようには書けません。筆の動かし方を修正してスピードも工夫しながら再構築するような作業でしたね。今振り返ると、その経験が今の自分の書のベースになっていました。ですから、今の自分があるのは、先生のお言葉があってこそなのです。

作品を書くときに心がけておられることは?

「かな」は、美しく。レイアウトも含めて全体の調和を大切にしています。かな書として小さい字より大きな字を書くことが多かったので、力強い線で丁寧に表現することを心がけてきました。墨の色彩、潤渇、筆の運び。それだけでなく、どんな料紙を使うのか、文字と表具との調和。掛けられた作品として全体のバランスが取れたものは、しっくりと心地良くも力強さも出てくるように思います。

先生にとって書道とは?

自分をここまで育ててくれたものですね。50代まで会社員をしていましたが、仕事をしながら書道の勉強を続けられたのも、書くこと自体に助けられていたからかもしれません。週に1回でも2回でも書道のことだけ考える時間は貴重な気分転換となり、仕事も頑張れました。また、一人の人間として仕事以外に何かベーシックに1つのことを長く続けていれば、違う世界が見えてくるのでは、と思って書道に向き合っていましたが、結果として書道と仕事は相反しているようで、双方にとって良い相乗作用があったように思います。

石川昇玉先生 3

これからの抱負についてお聞かせください

バーチャルとリアルの境目が曖昧になりつつある時代、本物を見る感動を味わう機会が益々に重要になってくると思います。知っているつもり、分かったつもりになることが一番大きな損失ですから、できるだけ多くの人に本物の書作品を触れていただきたいですね。
身近なところでは、手本もできる限り肉筆を渡すようにしています。本物を目の前にしなければ、文の奥行きも書き手の息遣いも伝わってこないものです。
日書展サンスター国際賞という大きな賞をいただいた今、改めて責任の重さを感じています。自分自身の研鑽も大事なことですが、かな文字そのものが、この先の時代にも残っていくことが重要なので、国際的に価値が認められ世界に理解されるようになれば良いなと思います。日本で生まれたかな文字は、日本文化そのもの。千年以上続いてきた「かな」の歴史を次の数百年につないでいく一助になれればと思います。

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