第73回日書展受賞者 荒井智敬先生

サンスター国際賞受賞 荒井智敬先生インタビュー

受賞作

鼓舞激励

鼓舞激励

今回の作品「鼓舞激励」はどのように選ばれたのですか?

長文の場合は漢詩の本から探しますが今回のような少ない字数の場合詩文の一節を採ることが一般的です。最近は少字数や四字熟語に特化した辞典が有りますのでそれらを見ながら探しています。今回の語句は漢詩文の中からの抜粋ではなく「鼓舞」と「激励」の類義語を重ねた造語です。叱咤激励と同じ意味で文学作品に引用された例があります。良い言葉だなと気になりチェックしていた中の一つでした。

荒井智敬先生 少字数や四字熟語に特化した辞典

作品にはどのような思いが込められているのですか?

題材を選んだ当初は、天変地異や不況に喘ぐ日本や以前の活気を失った書道界に向けた応援といいますか、かなり漠然としたものでしたが、作品制作の途上で私を書の道に導いてくれた父が病に倒れ闘病生活を送るさいに(残念ながら受賞の3週間前に他界し今回の喜びを直接伝えることは叶いませんでしたが)何とか元気になって欲しいという願いや励ましの気持ちを載せるようになりました。
自営業ですから当然休暇はとれませんしお稽古や審査事務などの仕事も休みたくなかったので、介護と仕事を両立していかなければいけない自分に対しての頑張れという意味も込められた作品でした。

先生が「書」に出会ったきっかけは?

父は書家と言うよりは教育者でしたが、実家が寺院だったこともあり書をたしなんでいて、自宅で書道教室をしていました。その為初めて筆を持ったのは2、3歳の頃でしたが、年の離れた姉が2人いまして、父や母、姉たちにも色々言われますし上手に書けて当たり前と思われるのがいやで、私は途中でやめました。当時は子供だけでも200人以上の大きな教室でしたから同級生はほとんど皆我が家に通っていましたし、中には成人するまで続けた人もいましたけど。

どのようなきっかけで「書」の世界に戻られたのですか?

歴史の勉強がしたくて入学した大学で(以前からここの学生展にうちの教室が出品している関係も有り)書道を履修することにしましたが(その時の講師が現毎日書道会監事の赤平泰処先生でした)久しぶりに書いてみると結構面白いなと、家で書く分には経費もかかりませんから何枚でも自由に書けるし機関誌に出品すると毎月級が上がっていくので、おだてられてその気になったと言う実に単純なきっかけです。
その後教室や会の手伝いなどもするようになり、徐々にプロの書家になりたいと思うようになりました。そこで、現在日本書道美術院の理事長であります、鬼頭墨峻(きとうぼくしゅん)先生の下に入門させて頂きました。父が、鬼頭理事長のご父君墨浦先生や師匠の伊藤峻嶺先生と若い頃から親交が有り、私自身が小さい時から、家族ぐるみでご縁のある方でしたし、父の門下から先に入門していた兄貴分達もいてくれましたので自然に溶け込むことが出来ました。
弟子入りしてからは、文字を書くということだけでなく、様々な教えを受けました。日書美を始め広く書道界の先生方との交流を持たせて頂き、貴重なお話を伺ったり直接古文物を拝見するなどの機会を得ました。特に飯島春敬先生の記念文庫に整理の仕事のため鬼頭先生についてお手伝いに伺うなどのあり得ない貴重な体験は、教室に通って添削していただく事とは別次元の事であり、書家として成長するためにとても幸運なことだったと感謝しております。

荒井智敬先生

「書」の上達のために、大切なことは何ですか?

継続すること。それに尽きると思います。「書」だけでなく、何に対してもそうだと思うのですが、これから3年続ける、5年は頑張らなきゃ!などと意気込むと、始める前から二の足を踏んでしまうと思いますが、楽しければ自然と続けられるのではないでしょうか?
昨今、半年で師範免許が取れますという講座もありますが、茶道や、華道のように、家元が限られているわけではない書道界では、物差しがたくさんありますし、書道教室を始めるのに特別な免許はいりません。最終的には、習いに来た方々が判断するものです。
今教室に来る方の中に書家になろうとして思っている人は少なくほとんどの方が趣味で習いに来ています。それであれば、なおさら、楽しく続けることが大切だと思います。そうして続けているうちに自然と上達していけるのではないかと私は思っています。

作品を制作される際、どのような工夫をされていますか?

近年筆を二本使って書いていましたが、今回は初心に帰る気持ちで一本の筆で、4文字の題材を選んで草書で書きました。私は不器用なせいか多くの枚数を書かないと作品が出来上がらない方で今回も100枚程書き、出品作は7、80枚目の物だったと思います。常に〆切ギリギリまで粘るので師匠にはしつこいといつも言われています(笑)。一応最後まで筆を変えたりしてタッチや造形の変化等いろいろ試して書いているつもりですが。
同じ作風をずっと追い続ける先生もいらっしゃるのですが、私は、じっと同じことを続ける事が苦手と言うこともあって、漢字の作品でも、大字で3、4字の作品や、古典に立脚し漢詩を引用した多字数の作品などを同時に書いたりします。書家の世界では私はまだまだ若輩ですし、チャレンジしたいという気持ちと、同じ時期に複数の書道展への出展のために2~3種類書かなければいけない時もありますので、自分が惰性にならないようにということと、作品を見て下さる方に向けてとの思いが有ります。
弟子入りした当初、師匠からはある程度うまくなるまでは同じ作風で書くように言われたこともあり、一時期大好きな隷書で主に作品を書いていましたが毎日書道展の会員になった30年くらい前に、隷書を封印し、行書や、草書を書くようにしました。恥をかいて成長するためにも、苦手な書体を追及することにしたのですが。近年久しぶりに隷書の作品を書きましたら、珍しいですねとお声がけ頂きました。
作風は勿論1つでもいいのですが、これからもっと年齢を重ねたときに、いくつかの引き出しを持っていた方がいいなと考えています。お弟子さんたちに、自分ができないことは教えられないので、それもあって時々違うものを書くようにしています。
それから腕は取り替えられませんが筆や紙、墨などはいくらでも替えがききますので欲しいと思ったものは縁だと思ってその時は分不相応でも可能な限り購入するようにしています。

日書展会場で席上揮毫をする荒井先生と、観客の皆さん1 日書展会場で席上揮毫をする荒井先生と、観客の皆さん2

日書展会場で席上揮毫をする荒井先生と、観客の皆さん

今までの書家人生の中で印象に残っているエピソードは?

私が大学生の時、会の合宿で鬼頭墨浦(きとうぼくほ)先生に「無理に筆を使わないこと。筆の行きたい方向に、手を添えてあげなさい」と言われました。当時はそんなこと言ったってリモコン付きじゃあるまいしと思っていましたが、無理やり筆を使わずに自然に動かせば良いということですね、私はだまだ先生のようには出来ませんが、その手の動き、筆の扱いを習得するには鍛錬しかなく、長い年月かけて少しずつ進んでいく。まさに究極のお言葉だと思います。

先生にとっての書の魅力とは

書くことそのものです。今ではカラーで書く方もいらっしゃいますが、「書」は元来、白黒しかないのに、無限の色が表現出来ます。同じ白と黒でも、発色が違います。いい硯を使って、よい墨を磨ればいいのでしょうが、高いものを使えば誰でも上手に書ける訳ではなく、それに見合った腕がないと意味がないのです、造形も種々できますし、そういった意味で「書」は奥が深い。
永遠にその探求は続きます。私たちが雲の上の存在だと思っている素晴らしい先生方もその先を追い求めていらっしゃる。永遠に追いつかないでしょうが、だからこそ追い続けられるからいいのかなと思っています。
よくうちのお弟子さんが作品を出す時に恥ずかしいと言いますが、それは少なくとも今は腕より目が良いということです。腕より先に、目が上達します。目習いという言葉があるのですが、見て良いか悪いかわからないとどうしようもなくて、現代の作品だけでなく、古筆など、広く良い作品をみて、審美眼を養うことが大切だと思います。

今後の抱負をお願いします。

今回の受賞は一人ではなく、師匠や先輩方、お弟子さん達応援団がいてくれたからこその受賞だと思います。作品はもちろん一人で創りますが、何かをする時は必ず応援団がいないと成し遂げられないと思います。書家は孤独な作業も多いですが、私は人と一緒のほうが楽しいですし、楽しいといってもらえると嬉しいので、おもしろすぎる書家を目指しています。(笑)
また、今後の作品に関して、一番大事なのは、この後の作品かなと思います。良い評価を受けた後は、最低でもその賞に見合う作品を書き続けないといけないと以前或先生からお言葉を頂きましたが、受賞した時が最高ではなく、次の高みを目指して書き続けるしかないと思っています。
書道界ではまだまだ若手?ですので、今後益々周りの先生方のご指導サポートをいただきながら、精進していきたいと思っています。

荒井智敬先生

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