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| 海外でのお仕事の経験も長い先生ですが、思い出深いことはありますか? |
| 2001年の9月11日ですね。あの時、ニューヨークにいたんです。アメリカの病院ではベッドごとに大きなテレビがついているんですが、その瞬間は全てのテレビにツインタワーから煙がちょろちょろと出ている映像が映っていました。最初は煙はほんのわずかで、飛行機がぶつかったらしい、という臨時ニュースが出ていました。だから、その時はみんな遊覧飛行の小型飛行機がぶつかったのだと思っていました。 |
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| 最初は、何が何だかわからなかったですよね。 |
| そう。それが9時前くらいでしょうか、本物の旅客機だったらしい、ということがわかってくると、病院の感じががらりと変わったんです。 |
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| どんな変化だったんですか? |
| まず、重傷者がいることがわかってきた時点で、その日の予定手術は全部キャンセルになりました。それから私たち医師は、自分の入院患者のリストを渡されて、ランクをつけるように言われました。重症で集中治療室から出せない人、重症だけど一般病棟でも大丈夫な人、近隣の病院へ転院をお願いできる人、自宅に帰れる人、というふうに、病気の重症度に応じて主治医が患者さんの適切な居場所を決めます。すると看護師さんが、その内容に応じて患者さんに直接話をしてくれて、「悪いけどベッド空けなきゃいけないから、お部屋を移っていただけますか」とか、「ご自宅へ退院していただけますか」と話を進め、必要に応じてお迎えのアレンジもしてくれる。そうやって退院してくださった患者さんのお部屋に重症の人を移しました。手術室を確保し、重症用の入院ベッドを用意して、世界貿易センタービルにいるテロの犠牲者の治療の準備をして待っていたんです。ERももう本当に戦闘態勢みたいになって、点滴をだーっと並べたり、近所のおばちゃんがたすきがけみたいな感じでボランティアに駆けつけてくれたりして、いつの間にか食べ物と飲み物がテーブルいっぱいに並んでいました。 |
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| 見事な対応ですね。 |
| 私もそう思いました。日本で地下鉄サリン事件があった時は東京の病院にいたのですが、もう大混乱でしたから。救急車がどんどん来るのですが、重症者から順番に診るという考えもよく浸透していなかったので、来た人を順番に診るという感じでしたし、患者さんと名前を確認して、カルテを作って、カルテと患者さんが別にならないように気をつけて、必要な処置を行うといった、いわゆる都市型大規模災害医療はそこにいる誰もが初めての経験だったので、すごく大変でした。しかもあの時は、化学兵器だったということもあって、原因物質が何なのかすぐにはわからなかったですし。 |
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| なぜニューヨークではそれほど迅速に対応できたんでしょうか? |
| 実は、「東京では大混乱だったのに、ここでは今日テロがあることを知っていたような対応で、すごくびっくりした」、と救急部の同僚に話したんです。すると彼の答えは「いや、そうじゃないんだよ」というものでした。都市型のテロが起こった時の米国のマニュアルは東京の地下鉄サリン事件の経験をもとに詳細に作られていて、その通りに今日はみんなが行動しただけなんだよ、と言うんです。東京の経験が今ここで生かされているんだと知り、すごくびっくりするとともに、深く感謝しました。 |
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| 地下鉄サリン事件の経験がニューヨークで活きていたんですね。 |
| そう。たぶん、虎の門病院とか聖路加国際病院などの、現場から至近距離にあった第一線の病院の先生方がきちんと検証して発表してくださったことが生かされているんじゃないかと思います。 |
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