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文化の発展のために

第71回日書展 サンスター国際賞を授与

サンスターは日本書道会で最も権威のある日本書道美術院が主催する「日書展(にっしょてん)」において、最高賞であります「サンスター国際賞」を授与しており、本年の受賞作品が発表されました。 この賞は「文字の文化である書」を国際的な価値として高める目的で1968年に設立され、2009年よりサンスターが支援しています。

最高賞であります「サンスター国際賞」は、日本の数多い書道展のなかで唯一、国際賞として位置づけられており、権威ある賞として認められています。
日本書道美術院には漢字部、かな部、新書芸部、篆刻(てんこく)部の4部門があり、国際賞の対象者は、各部門の第一科の審査員書家となっています。

2017年1月5日(木)に第71回日書展の授賞式が執り行われ、サンスター国際賞は漢字部の遠矢桂章(とおや けいしょう)先生に授与されました。


受賞者遠矢桂章先生とサンスター金田CEO

作品は梅尭臣(ばい ぎょうしん)の7つの詩を用いて表現されています。
日本書道美術院理事長 鬼頭墨峻(きとう ぼくしゅん)先生は「自分の形をもっていて、長年にわたって鍛錬された技術が遺憾なく発揮されている」と評されました。

サンスター国際賞受賞 遠矢桂章先生インタビュー

題材の詩を詠んだ梅尭臣(ばい ぎょうしん)とは、どのような人物でしょうか?


第71回日書展 サンスター国際賞受賞作品と遠矢先生

中国・北宋時代の詩人で官僚政治家であり、欧陽脩(おう ようしゅう)の友人です。官僚としては不遇で、生涯貧困をよぎなくされました。彼が詩の題材に選ぶものは自身の貧しい暮らしの中から見える、身近なもので、ミミズや、耕牛、陶者などで、作風はどこか物悲しいものばかりです。彼自身も貧しい生活をしているせいか、その詩は貧しさから生み出された美しさを持っています。

当時の貧しい中国の農民の生活を考えると更にその農民に使われる耕牛は貧しさの象徴のように思えます。また、陶器をつくる陶者は、瓦を焼いていますが、本人の家には瓦は無く、ぼろぼろの家に住む一方、手を汚すこと無い者たちが、立派な瓦屋根の宮殿のような邸宅に住んでいるという、皮肉さを歌っています。梅尭臣の詩で特に好きな詩が、亡くなった奥さんを思って詠った詩なのですが、是非皆さんに読んでいただきたいですね。

今回の作品の題材として、梅尭臣を選ばれた理由を教えてください。

好きな詩を書きたいと思って書きました。詩が悲しいから悲しく書くわけではなく、文章として悲しさは表現されています。詩に対する思い入れもあり、いい作品を書きたいという思いから生まれた作品です。

作品を表現される上でキーとなる潘天寿(はん・てんじゅ)はどのような方ですか?また、どのような作風でしょうか。


第71回 日書展 サンスター国際賞
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初めて潘天寿の字を見たのは画讃(がさん)といって、絵画の余白に賞賛を書いたものだったのですが、とても感銘を受けました。こんな字は見たことなく、衝撃が走り、とにかく好きになりました。日本の書道会ではあまり注目されていない人物のため、彼の作品集を中国までいって集めました。実は、日本を代表する書家である、殿村藍田(とのむら らんでん)先生も潘天寿の作品の影響を受けていたといわれています。

今回の作品を表現される上でのポイントはありますか?

行の流れです。行の流れは字の造形と深く関係しています。1文字1文字のゆがみが行を構成しています。今回の作風の字はゆがんでいるため、行もゆがむほうが自然ととらえ、文字に合わせて流れるように表現しました。書体も9割以上が行書体で、1割弱が草書体の行草体です。時折草書体を織り交ぜることで、緊張感を緩めています。

第71回日書展会場にて、観客へ向けて説明される遠矢先生

遠矢先生が「書」に出会ったきっかけは何でしょうか?

小学3年生の頃から書道を習っていましたが、書家になろうと思っていたわけではなく、習い事として続けていました。大学生の頃はパイロットになりたく、卒業後、パイロットを目指し就職しました。残念ながら、訓練中に体調を壊し、パイロットの夢はかないませんでした。その後、庭師のアルバイトや測量士のアルバイト、スポーツ射撃に明け暮れるなど、様々経験し、書とはかけ離れた生活をしていましたが、転機となったのは30歳ごろです。今一度、書道をしっかりやってみようと思い、先生を探し、東京学芸大学の相川鐵崖先生の研究会に入りました。相川先生は作家としても活動されていて、先生の会に入ったことで、「書道」ではなく、「書」というものを知りました。

「書道」と「書」はどのような違いがありますか?

順番で言うと、習字、書道、書だと思いますが、きれいな字を書くことを習う「習字」、書を持って道を究めていく「書道」とありますが、その二つをいくら頑張っても、きれいな字はかけても「書」にたどり着けません。「書」は、きれいな字を書くということを超えて、高い精神性を有した字を書く、芸術です。

「書」の上達のためにすべきことは何でしょうか?

お弟子さんたちによく言うのが、本を読むこと、いい作品、作品集を見ることといっています。一生懸命道を究めようと準備しているのに、目指す目標がわからなくなる人もいます。目指す目標を明確にすることが大切です。もちろん、その目標は変わってもいいと思っています。私は初心者は別にして、お弟子さんたちに自分の書を手本にして書かせることはありません。作品を書くときはその人の感性です。それぞれの目標があっていいと思います。

最後に、今後の作品で表現したいことはどのようなことでしょうか?

字は体質なのか、日本人の書く字と、中国人の書く字はどこか違います。本質がにじみ出るからか、その国特有の表現が出てきてしまいます。それでも、チャレンジしたいですね。 どこか「腐敗臭の漂うような字」を書きたいです。何度も中国を訪れているのですが、中国江南の夕方、住宅街の路地から漂う一種独特な夢幻的な雰囲気と匂いを感じさせる陰のある作品を書きたいと思っています。