ホーム > 環境・社会活動 > 社会貢献活動 > 書家の好きな書 > インタビュー(最新)【仮名の世界】山崎暁子先生

インタビュー(最新)【仮名の世界】山崎暁子先生

山崎暁子先生プロフィール

新潟県出身、横浜市在住。毎日書道顕彰、日書展オリベッティ国際賞受賞。
師は熊谷恒子。

現職
(財)毎日書道会常任顧問、(財)日本書道美術院常任顧問、恒香会顧問、明日香会主宰。

師との出会い、書との出会い

書を志したきっかけをお聞かせください。

きっかけは熊谷の作品を見たことから始まります。父が書や絵が好きで、展覧会があるとよく連れて行ってくれました。その一環で毎日展にも行きましたが、その時、熊谷先生の作品に出会ったのです。作品を拝見した時にずいぶんハイカラな字を書く方だなとめずらしく思い、「熊谷恒子」という名前を覚えていたのですが、偶然その年の秋の「週刊読売」に書家の住所一覧が掲載されていまして、熊谷先生の住所を見つけたのです。それでお弟子さんになりたいとお手紙を差し上げました。30歳の時でした。

もともと書はお書きになっていたのですか。

その時まで書は書いたことがありませんでした。先生からは紹介状のないものはお弟子にできませんと断りのご返事をいただき、あきらめていました。それが、12月の初めに再びお手紙が届き、京都からお弟子になりたいという人が来るので、面接だけでもよかったら来てごらんなさいといわれまして、大田区馬込の先生のところに伺ったのです。面接後、合格したんでしょうね。帰りに「お筆持ってる?墨は?」と訊かれ、筆と墨を渡されました。

熊谷先生には他にお弟子さんはいらっしゃったのですか。

その頃先生は、お出稽古が多かったのです。宮様方のお部屋をお借りしたりしていらっしゃいました。先生のおうちには7~8人のお弟子さんがおられました。昭和32年の1月からお稽古に伺いまして、30年通わせていただきました。

熊谷先生のお稽古

熊谷先生のご指導はいかがでしたか。

私は先生にいろはからお習いしていまして、先生のお手書きのいろは帖を持っています。これにはみなさん驚かれています。基礎から先生に習う人はあまりいなかったようでして、お上手になられてからご紹介を通じてお稽古に通うような方が多かったようです。
ある日お呼び出しがあり、これから半切をあなたに書いていただくと言われました。お稽古に行って間もないので半切というのが何かもわかりませんでした。その時に、字というのは品が大事、特に半切というのは品が大事なのでそれをお腹にしっかり入れてこれから書きなさいと言われ、お手本をお書きになったのです。何回かお稽古して後は先生にお渡ししました。2ヵ月ぐらいたって書道の雑誌に自分の作品が掲載されていたのを見ました。それは先生方が自分のお弟子さんを一人選んで半切を書かせて雑誌に出すシリーズでした。その時「ああ、このシリーズに私を選んでくださったんだな」と後でわかったのです。その時の作品は「見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける」(素性法師の作品)という歌でしたが、後で書道の写真を見て、あまりにも下手で柳桜の歌は今でも敬遠して書いていません(笑)。半切は好きですけどね。

熊谷先生の生前の家が「熊谷恒子記念館」になっています。

その旧宅に毎週お稽古に行きました。狭い8畳の部屋に小さな机が3つ並んでいまして先生のお机の前で稽古をしていました。先生からお手本をいただきひたすら書いた後、先生に直していただきました。ある日、スケートの練習のし過ぎで手が震えて書けませんのでお手本だけくださいとお願いしたことがありましたが、「スケートは足でするものです。お稽古は出来るはずです」と厳しい先生でした。動物にはとてもやさしく、野良猫や犬を良く躾けておられて、九官鳥にはお歌を教えるほど動物が大好きでいらっしゃいました。