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| Interview vol.9 |
ノンフィクションライター 小松 成美さん (前編) |
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| 小松成美(こまつ・なるみ) |
| 1962年横浜市生まれ。広告代理店勤務などを経て、89年より執筆を開始。主題は多岐にわたり、人物ルポルタージュ、ノンフィクション、インタビュー等の作品を発表。著書に『中田英寿 鼓動』(幻冬舎文庫)、『青の肖像』(文春文庫)、『イチロー・オン・イチロー』『「一流」であり続けるために。』(新潮社)、『歌舞伎未来形』(マガジンハウス)、『さらば勘九郎 十八代目中村勘三郎襲名』『中田英寿 誇り』(幻冬舎)などがある。 |
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| 今日は一流のインタビュアーの方にインタビューさせていただく、ということで、とても緊張しています(笑)。 |
| とんでもないことですよ、もう。 |
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| まず、幅広いジャンルの方を取材されている小松さんですが、そもそも取材対象となる方とは、どのように出会われるんでしょうか? |
| 自分の興味があるもの、好きなものに触れたときが出会いなんですよね。例えばスポーツのゲームを観たり、美術なら絵や彫刻を観たり、音楽家ならコンサートに行ったりしたときに、「このアーティストはどんなふうに生きてきたのかな」とか、「ああ、この選手に一度インタビューをしてみたいな」というふうに、電球がつくようにパっと思うんですね。それを親しい編集者の方なんかに話すと、やがて、雑誌でインタビューしましょう、とか、何年間か追いかけて本にしましょう、というふうに企画になっていく。もうひとつは、出版社とか編集者から取材の機会をいただいて、原稿を書く。基本的に取材は、一期一会ですが、中には、「もっと話を聞きたい」「その人の挑戦を本にしたい」と考えることがあり、さらなる取材をお願いします。大体このどちらかですね。 |
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| 例えば、ずっと追っていらっしゃる中田英寿さんの場合はどちらですか? |
| 中田さんは私が会いたかったんです。もともと、サッカー日本代表の93年ワールドカップアジア地区最終予選、通称「ドーハの悲劇」の取材をしたときに、選手もファンも泣き崩れたのを同じスタンドで見ていて、改めてサッカーってすごいスポーツだと思ったんですね。サッカーは愛国心を喚起するし、人々の魂をひとつにする。世界でもっとも競技人口が多いスポーツは、これほどまでに人の心を虜にして、これだけ落胆させるのだと感じた私にとって、サッカーやサッカー選手は大切な主題になりました。日本のサッカーがワールドカップに出場し、世界と互して戦えるようになるまで取材したいと思ったんですよ。そう考えていた私の前に、中田英寿が現れたんですね。96年、アトランタオリンピックの直前に五輪代表の彼を取材しました。 |
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| 平塚にいらしたころですね。 |
| ええ、そうです。最初のインタビュー時、彼はまだ19歳で、ようやく少年から青年に成長するころです。若いけれど、五輪代表として一生懸命背伸びをしてメディアに対応している姿が、とても微笑ましかったんですよ。当時のチームで最も若かった中田さんに、私は大きな興味を持ちました。こんな個性的な選手には出会ったことがない、と思ったんです。 |
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| 具体的には、どんなところが他の選手と違うと思われたんですか? |
| 普通なら、五輪を前にして「頑張ります」とか、「一生懸命やりたいと思います」とか期待される語彙を返しますよね。中田さんはそれを、「メダルより図書券をもらったほうが有益じゃないですか」と言ったりするんですよ(笑)。ブラジルと対戦することが決まっていたのですが、「胸を借りる」などとは決して言わない。「ブラジルを小バカにするようなプレーをしたいですね」と、真顔で言うんです。私はそれを聞き、彼のプロ選手としてのプライドを感じたんですよ。正直な言葉がときに誤解を生んだりしていたのですが、自分という人間を一生懸命に理解させようとコミュニケーションしているのだとも思えました。実際にインタビューを重ねていくと、今流行りのJリーガー、などとステレオタイプで見られることをすごく嫌がっていたんです。刹那的な人気に有頂天になることもなく、自分の人生に真剣に向き合っている。「将来、会計士の資格を取ろうと思うので、そのために今簿記を習っています」と彼から聞いて驚きましたよ。「引退するときに、サッカーしか知らないので何もできませんというような人間になりたくない」って、そのインタビューの間に、何度も言ったんですよ。 |
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| −サッカーだけでなく、人生のことをいかに真剣に考えているか、ということですね。 |
| そう。そして、それと同じだけの力で、どれほど自分がサッカーが好きで、サッカーが楽しくて、チームのためにプレーするかということも話してくれた。彼のホームゲームを観に行くと、何本かに1本は彼が理想とするパスが展開される。そのパスはものすごく美しいんですよ。そうした美しいパスを観る度に、この人は今までの日本のサッカーの歴史とは違う流れをつくる人かもしれない、と思いました。そうしたら実際にそうなっちゃった(笑)。今思えば、彼自身が一生懸命に自分の思いを伝えようとしてくれたんですね。自分を理解し、もしくは自分を取材してくれる人を求めていた。大きなテーマと出会うときには、こうした“心のざわめき”があります。 |
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| 今続けているオリンピック・アスリートの取材も、そういう小松さんの視点が生きている。 |
| 強いから、メダルを取るから、取材したいのではないんです。オリンピックを目指し挑戦する彼らの魂に向き合いたいからなんですね。オリンピック・アスリートたちってみんなメダルを期待されているじゃないですか。しかも、本当は自分の目標だったはずなのに、オリンピックになれば国の目的になるわけですよね。でも、勝負だから、勝つことも負けることもある。しかし、負けた選手は、国民の期待を裏切ったことに対して死んでお詫びしたいとまで思うわけですよ。メダルを取っても「金」でなければ、敗者と呼ばれてしまうトップ選手の重圧も途轍もないですよね。そこまで責任を負っていても経済的な保証があるわけではない。アメリカの金メダリストならスポンサーがついて年収何億になるけれど、日本だと金メダルを獲っても確実に入る賞金は300万円です。それではトップ選手としての練習を続けながら暮らしていけないですよ。私は、日本のスポーツは、選手個人の高い志と、周囲の真心で成り立っていると思っています。だからこそ、私は、メダルを取ったあとではなく、その挑戦の過程をぜひ取材したいと思いました。勝っても負けても、そのアスリートがどんな思いで五輪を目指すのか、そしてその先の人生を見るのか。そう思って取材をし、原稿を書いています。 |
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