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| 転機となった作品や、憧れの方との出会いはあったんですか? |
| 本当にこの世界で頑張っていきたいなと思ったのは、留学中の1998年に「プラシド・ドミンゴ世界オペラコンテスト」を受けてソプラノで優勝したときです。2,000人以上の候補の中から自分が選ばれて、ドミンゴさんがワシントン・ナショナル・オペラで歌うデビューのきっかけもくださいました。そのときに、憧れの舞台で自分が歌えるんだ、もっと一生懸命勉強しなくちゃいけない、と思うとともに、できればずっとこの世界で歌っていきたいと思いました。 |
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| 不安や焦りはありましたか? |
| もちろんありました。私たちの仕事は、コンクールで賞をいただいても、ずっと舞台(仕事)があるという保障は全くありません。ですから、先が見えない不安は常に頭をよぎります。それから、ヨーロッパは東洋人には厳しいところなので、そういう重圧もありました。彼らの伝統の中に異文化の人が入って行くんですから、言葉の面でも容姿の面でもいろんなことを言われるのは当然なのですが、その風当たりがかなり強くて、最初はすごく戸惑ったし、辛かったです。さらに、ドイツは本当に寒かったので、身も心も凍りつくようだったのを覚えています。 |
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| その年が特に寒かったんですか? |
| ドイツでも記録的に寒くて、ミュンヘンでは11月から3月まで一度も雪がやまず、ずっと雪に閉ざされている感じでした。気温はほぼ毎日マイナス15度で、暖かくなってもマイナス5度。私は東京育ちでしたから、この寒さは応えました。あとは、ドイツの方とか留学している方と部屋をシェアしていましたが、その方たちが厳しくて、エコ対策が素晴らしいとも言えますが、暖房をつけると切りに来たり、お湯でお皿を洗うなんてもったいない、と怒られたり(笑)。 |
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| ただでさえ厳しい環境下なのに・・・。 |
| 小さなことでしたが、ヨーロッパに暮らすというのは日常的に戦いが多くて、日本に住んでいる時のように、のんびりと自由に暮らせないというのもストレスに感じて、結構追いつめられていました。 |
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