HIV(エイズウイルス)とともに生きる女性たちによるエッセイ集。
「愛と人間のきずな」 / モニー
「サナ」は、私のことをそう呼んでもらいたくてつけたペンネームですが、皆は私のことを「モニー」と呼びます。この名前には、私の地元の言葉で利口だとか賢いという意味があります。
私は6人きょうだいの2番目の子供で、貧しい家庭の出身です。私が3歳のとき、父は別の女性と出歩くようになりました。家計は母が支えていました。母は市場に売り物の野菜や果物を運ぶため、毎朝3時に起きなければならず、私たちは子供だけで留守番しなければなりませんでした。
私は7歳のときに、見ず知らずの男にレイプされました。それを兄に打ち明けたのですが、兄はこの状況に怒り狂うばかりでした。なぐさめてもらいたかったのですが、無駄でした。私が言おうとしたことを、兄は理解できなかったのです。私は大泣きしました。
私たちの文化では、処女性が非常に重視されます。男性は清純な娘と結婚することを期待しているのです。
18歳のとき、別の村の男性と恋に落ちました。彼は時折、体の関係をせがんできましたが、処女でないことを知られるのを恐れた私は、それを拒み続けました。それに対して彼はとても腹を立てました。私が彼を満足させることができなかったために、彼は一転して私の友人にプロポーズしようと決めました。そして私の目の前で友人にキスをし、家族に会ってほしいと頼んだのです。こうして彼とは破局しました。
私は2002年の2月に、職場で知り合った警察官との結婚を決めました。互いを信頼していたので、二人ともHIVの検査は受けませんでした。2ヵ月後、私は妊娠すると同時に性行為感染症(STI)と診断されました。夫は、STI検査のために私立のクリニックで診察を受け、そこで医師にHIV陽性であることを告げられショックを受けました。
彼はその検査結果を、職場にいる私に見せに来ました。私は声を殺して心の中で泣きました。本当は叫びたかったのですが、できませんでした。同僚に知られて、だれも話しかけてくれなくなるのが怖かったからです。
私たちの地域社会では、妊娠中絶は違法です。しかし、当時はHIVの母子感染を防ぐ方法があることが知られておらず、また知っていたとしてもそうした医療を受けることもかなわかったため、私は中絶しようと考えていました。
2003年に、夫がエイズを発症しました。彼は仕事を辞めました。私のささやかな収入は、夫の薬代や食費、そして母の借金の利子にと、ぎりぎりの生活の中で消えていきました。将来に備えた貯金など、とてもできる状態ではありませんでした。
私は夫をとても愛し、尊敬していました。入院した彼を、昼夜を問わず介護しました。そして彼のために祈りました。神様に、どうか夫の命を助けてください、とお願いしました。彼の命を救うためなら自分の命を投げ出してもかまわないとさえ思いました。悲しいことに彼は、重感染の治療も及ばず、2003年の2月に亡くなりました。
彼が亡くなったことで義父母は私を憎み、悪の根源であるかのような目で見ました。私を責めるのは間違っています。彼らは私がどれだけ傷ついているかをわかっていないのです。私は夢を、希望を、そして未来を失いましたが、何も言いませんでした。
私は今28歳ですが、見かけは若くてきれいです。たくさんの男性が私に好意を寄せてくれますが、私がHIVで夫を亡くした未亡人だと告げると、誰も結婚しようとは言いません。
私の年代では、女性は常に男性、家族、そして社会に尽くすものと教えられていますが、私たち女性の価値を誰も認めてはくれません。人種、宗教、階級を問わず、すべての女性が立ち上がり、その権利、名誉、そして価値を主張していくことを日々願っています。私たち女性がいなければ、社会の進歩はありえないのですから。
全てのHIV陽性の女性に希望と微笑みを!
幸運と健康を祈ります!
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